Gomata Suji キリマンジャロの夢

Written by Keiko Koma

Gomata Suji キリマンジャロの夢

やっと叶ったキリマンジャロからのコーヒー物語。元駐日タンザニア大使の生まれ故郷のコーヒーです。
大使は、村人みんなの支援で大学へ行き、外務省に入省し、
いつか村人に恩返しが出来る時をと考えていたとお聞きしました。

キリマンジャロのふもとは、癒しの地と言われています。私は、2度行く機会を得ましたが、
正に一言で言うと癒しのエネルギーに満ちていました。
その地のエネルギーをいっぱい感じるコーヒー豆に、焙煎時にいだきしんサウンをたくさん
聞いたキリマンジャロ・ゴマタスジコーヒーが誕生しました。
大変上品で、繊細でありながら、キリマンジャロの大地のダイナミックな、
エネルギーあふれるパワーを感じる深い味わいのあるコーヒーです。

是非ご賞味頂けましたらうれしいです。 

高麗恵子

キリマンジャロゴマタスジコーヒーレポート

コーヒーの適正なビジネスを推進する「キュカミ」よりレポートが届きました

キリマンジャロゴマタスジコーヒーレポート

ゴマタのご紹介

ゴマタ、マリンディ、タエはどれもキリマンジャロ高地にあるスジ地域の村の名前です。GPSで-47°09′25″N27°35′25″N.にあります。平均海抜4333フィートの高地に位置し比較低温で一年中雨が降りコーヒー栽培に適しています。ダレサラムからの基幹道路であるアルシャ道沿いにある都市マカンヤからは20キロほどの距離ですが道が悪く歩いて村まで行くのは大変なハイキングとなります。そして村は気温が低いので到着したらまず温かいコーヒーを飲んで下さい。 

ゴマタスジコーヒーの歴史

ゴマタではアラビア種のコーヒーを育てています。特徴的なのは各農家が小さい農園(だいたい1から2エーカー)で小規模に栽培していることです。そして各農園の多くは50年以上の栽培の歴史があります。これらは現在60歳から80歳になる各農家の主人が若い時に栽培を始めたことによります。「栽培がうまくいく秘訣はアフリカ人の寛容をもって育てること」と言われますが、まさに彼らはそのうような姿勢でコーヒー栽培に取り組み、過去15年におよんでコーヒー産業が苦境にある時もあきらめることなくコーヒーを育て続けました。 したがってゴマタスジコーヒーを飲むことは彼らの生活を支援し子供たちを助けることにつながっています。

ゴマタコーヒーの誇りはゴマタの農民たちが自然と共に生きることを心情に、自然に即した栽培サイクルを心がけていることです。ほとんどの農民は経済的な理由もありますが、自然人としての誇りから化学薬品や除虫剤は使いませんし化学肥料も使わず、植物や家畜の堆肥を自然の肥料として使っています。また我々と共に害虫や病気対策をキリマンジャロの伝統的な手法で行うことを始めました。またバナナの木をコーヒー畑の合間合間に植えることで日陰を作り、その落ち葉を自然の肥料とする一石二鳥の栽培もはじまめした。この様に自然のサイクルに反しない様々な手法を活用してゴマタコーヒーはより高いクオリティーを皆様に提供しようと日々努力しています。

タンザニアコーヒーの歴史

タンザニアでのコーヒー栽培は植民地時代にさかのぼります。そして1961年の独立後、世界でも有数のコーヒー輸出国となりました。タンザニア南部の高地であるムベヤ、ルブマ地域はコーヒー栽培に適した気候で、一年中雨が降ります。またゴマタコーヒーが採れる北部の高地は国内で最良のコーヒーを産出することで知られています。北部高地はもともと火山によって出来た環状の地形にそってあります。ウサンバラ高地、パレ渓谷、キリマンジャロ山、メル山、オルドンヨレンガイ、火山の沈没で出来た奇景ゴロンゴロなどです。ゴマタ村はキリマンジャロ地域のパレにあります。コーヒーに適した降水、高地、低温性そして火山の土と泥に恵まれゴマタスジコーヒーは伝統的な自然な栽培方法を守り世界中のコーヒーを愛する人々の間で高い評価を得ています。

タンザニア政府は農民の生活向上と貧困解決へとさまざまな取り組みをしてきました。キリマンジャロ地域では1930年にチャールズヅンダスによって設立されたアフリカでももっとも古い組合であるキリマンジャロ共同組合(KNCU)が中心となって市場開拓や経営指導などを行ってきました。それは90の団体から構成されキリマンジャロのコーヒー産業にかかわるメンバーからなります。1950年代60年代に大きく発展し1977年には国営化されました。しかし1984年に民営化にもどされ独立した組織として独自の道を歩み始めました。ゴマエリアのコーヒーはKNCUのメンバーの一つであるバスヌ共同組合の管轄となっています。 

経済の自由化は大きな変化をもたらしてきました。1986年にワールドバンクとIMFとタンザニア政府は構造改革計画(SAP)に合意しそれは輸出産業の活性化と中央政府の財政支出の大幅な削減を促しました。マクロ経済から見ると必要な政策と思われましたが増産と価格低下で収入が減り、医療費などの支出増大、教育知識の共有政策などが重荷となって多くの農家がかえって困窮してしまいました。 1990年代の初頭に内外の企業が直接コーヒーを買い付ける動きが盛んとなり協同組合の衰退がおこりました。KNCUもたった4年間で80%のシェアを失うこととなりゴマタの農家も困惑の中で様々な問題が起きてきました。 自由化によって農家は自分自身で価格を決めることはできなくなり10年間でコーヒーの価格は暴落してしまいました。90年代初頭には農家1戸あたりの年間平均収穫量は50袋(2500kg)ありましたがこれが6から10袋へと急落してしまいました。政府からの支援も不足していることでコーヒー栽培に投資する機会も減り、若者の就業興味も減少しコーヒーの供給が減少しました。 以前はSAPがさまざまな生産にひつようなものを提供し収穫量を確保する仕組みがありましたが、農家が必要経費をすべて自前でまかなうようになり、価格は外部にコントロールされている現状には矛盾があります。自立をとのことで始まった新しいシステムは農家の生活を圧迫しています。生産価格は高騰し収入は減りました。支援はなされず自前の能力の範囲でしか収穫ができません。このことは個々の農家だけではなく産業全体の構造の弱体化となりました。我々が訪問した時にもコーヒー収穫後に乾燥させるプロセスで必要となる給水場の一つは支援がないことからおきざりにされて機能していませんでした。したがってゴマタコーヒーを飲むことでコーヒー農家を助けることになるのです。

キュカミの活動について

私たちキュカミは直接農家からコーヒー豆を買い上げ、国内外の個人や貿易会社、政府機関と連携し、マーケット開発を行い適切な価格にて安定的に取引を行うことで農家への支援となることを願っています。特に海外市場との直接取り引きは利益のあるコーヒー栽培を促進しています。以前は1kgあたり0,125USD程度であったものを2.5USDまでに引き上げることができました。しかし農民の多くは最低6USD程度の価格が維持できなければ再投資を行い安定した生産と生活の向上が実現しないと訴えています。 我々はこのことを達成するためにコーヒーのグレードを向上させ、安定的に海外にカスタマーを広げることに日々努め取引の80%以上はAA,AB,PGグレードの豆となっています。